食品添加物や農薬が普及し、社会問題化するまで~ようやく危険性が指摘された70年代
2013/10/30
経済成長が優先され、食品の安全性は野放しに…
1950年代後半から70年代にかけての高度経済成長期は、日本が“奇跡的”とも言われるほど大きな経済発展を遂げた時代でもありましたが、同時に、全てにおいて産業の拡大と資本の増大が優先されていた時代でもありました。
つまり、農産物や加工食品の販売においても、メーカー側の利益のための技術開発、シムテム開発などに重点が置かれ、消費者の健康や安心という側面には、社会全体がほとんど無関心だったのです。
その結果、発癌性や環境ホルモン作用のあるDDT、毒性の強く残留度も高いBHCなどの農薬がふんだんに使用されました。
また、食品添加物としては、豆腐や魚肉ソーセージの防腐剤であったAF2(フリルフラマイド)、日本酒の防腐剤としてのサリチル酸、人工甘味料のチクロやズルチンなどを使用した商品が、広く普及していました。
国が“認可”しているからって、油断しないで!
余談ですが、AF2(フリルフラマイド)については、1965年に厚生省が安全性を保証する形で販売を認可しています。
この安全性確認のための試験を、厚生省は当時、大阪大学医学部で行ったものと発表していましたが、後日、実はフリルフラマイド防腐剤「トフロン」の販売会社、上野製薬の実験データであったことが明らかになりました。
このように、食品添加物に限らず加工食品や薬剤など、人間の健康に関わる何か新しい商品が普及する当初には「安全性」を謳っておきながら、後になって次々と危険性が発露・指摘され、社会問題化するケースは、これまでにも多々ありました。
私たちは、このような歴史の教訓から学び、安全だから、体によいから、国がいいと言っているからと言って、安易に新商品に飛びつかないように注意したほうがよさそうです。
公害病や食品被害が頻発…やっと食の安全に目覚めた国民と政府
1955年の「森永ヒ素ミルク事件」を契機に、“食の安全”に対する人々の意識が高まるようになりました。
折しも「水俣病」を始めとする四大公害病も社会問題となり始め、一方で、食品添加物のAF2やチクロなど、農薬のDDTやBHCなど、危険性の明らかになったものが使用を禁止されました(チクロの危険性については、近年疑問視する声もあり)。
1968年にようやく消費者保護基本法が制定され、1970年に消費生活センターが設立されました。
すると、食品の安全性に関する相談が一般消費者から次々と寄せられるようになり、食品メーカー側も、これまでの経済成長に乗った利益追求路線から、消費者の健康や安全を考慮した生産体制に少しずつシフトしていくようになります。